東京都の2次試験の合格通知を受け取ったのが遙か遠い昔のような気がする。
採用説明会の後、大急ぎで必要書類をかき集めたり、書いたりして提出したのが昨年12月。今は市区町村教育委員会から面接連絡をただひたすら待つ身……。
せめて手紙の一通でも送ってくれれば良いものの、音沙汰が皆無というのは正直不安で堪らない。
また身分の曖昧さが不安に拍車をかける。
2次試験の合格者は採用候補者名簿に載せられる。都や市区町村教育委員会はその名簿からチョイスして個別に面接。採用が決まるというもの。と、言うことは空き状況によっては採用されない可能性(※1)も……。
(※1)採用されない可能性……説明会では我が侭を言わない限り採用されるとは言っていたが。
だから未だに「4月から教員になります!」と声を大にしては言い切れない。言いふらしておいて実はダメでしたでは恥ずかしくて4月から蒸発してしまいそうだ。
補欠ではない正規合格なのにこの不安感。
採用面接は2月から始まっているらしいが、まだ電話は鳴らず。どこに勤務するのかも決まらない。それ以前に中学校なのか高等学校なのかすら……。
このような不安定な状況下で、いつの間にか自分の理念も自信も揺らぎ始めていた。
そんな時に大学の同期であり、現役の中学教師として活躍しているY本に無理言って飲みに付き合ってもらった。
以前から旨いホルモン焼きの店があることを聞いていて、そこに連れて行けと強引に頼み込んだのだった。
Y本先生
根堀り葉堀り彼から現場の話を聞いた。
大抵同期で集まると仕事や会社の愚痴大会になる。「会社がヤバい」「仕事がつまらん」……etc
自分も前会社に勤めていた頃は、まさに愚痴の百貨店(※2)。
(※2)愚痴の百貨店……そのたびに転職を勧められていたが。外から見るとその理由がよくわかるw
たぶんY本の話も愚痴になるだろうな。そう予想した。
その愚痴と今の仕事とを照らし合わせて、話の信憑性を探ろうと考えていた。
ところが。
Y本は教育の魅力、仕事のやり甲斐を語り出したのだった。
「中学こそが人間を造る最も重要な時期だと思う」
「自分が担当した生徒が将来活躍する。教師やっていてこんな嬉しいことはない」
「自分は教師として毎日生徒を教えているが、自分も毎日生徒から教わっている」
そしてこれまでの教師生活の中での数々の思い出。
Y本は自分のことを「偉そうなことを言っているが実は涙もろい」と言っていたが、自分なんてどうなんだろう。
Y本の話を聞いただけで胸がいっぱいになった。相づちを打つと我慢していた感情が吹き出しそうだったから黙っていたけど。心の中で泣いていた。きっとこれも酒のせいだ。酔いが回って涙脆くなったに違いない。
一つの仕事を5年以上やっていて仕事の魅力を語る人間はほとんどいない。
大半の人間は「つまんねー」「給料のためだけに働いている」「休日だけが楽しみ」など自分を納得させながら毎日やりくりしているものだ。
アラブかどこかの国にこんな諺がある。
「教師は蝋燭。自分を燃やして、他人を照らす」
Y本の姿を見て、この諺を思い出した。
教育理念
自分が一番不安に思っていること。「教育理念」について聞いてみた。
「崇高な理念があるかと言われれば、それは答えられないのだけど……」
彼はそう前置きしてから答えてくれた。
「信念は大切だ。その信念は別に崇高な理想でなくても良い。人間として大切なこと。例えば"人に迷惑をかけない"、"食べ物を粗末にしない"、"嘘をつかない"そんな些細なことで良い。そんな些細だけと大切なことを信念に指導をすれば、指導がぶれることはない」
考えてみれば、いつの間にか憲法のような崇高な理想を追いかけていた。そして全ての根本となる理想が見つからず苦しんで自信をなくしていた。
情報が溢れすぎて何が正しいか何が間違っているのかわからない。
正解がないので迷う。きっと子育てをしている親も迷っているだろう。
だからこそもっとシンプルに考えて。当たり前だけと大切なこと。
それを信念にすればいいんじゃないか。
昔から人に「難しく考えすぎ」とよく言われてきた。物事をシンプルに考えられないのは改善すべき点の一つ。
世の中の仕組みは思いのほか単純なのかもしれない。
夜も遅くなり会はお開きとなった。
一人になったとき今日のことを思い返した。少しだけ自信が湧いてきたような気がした。
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