日本の良さを感じる旅も2日目に突入。
2日目にして最終日の今日は世界遺産「石見銀山」で一攫千金を狙う!
世界遺産 石見銀山へ
Dr.ミズノがいつ頃から日本史に興味を持つようになったのかはわかりませんが、2日目の旅は世界遺産"石見銀山"を巡ることになりました。
よっぽど入念に下調べをしているのだろうと彼に石見銀山について聞いてみると、
「何も知らない」
とのつれない返事。もっとも歴史的知識を私に期待していたようなのですが、残念ながら私も"信長の野望"で毛利氏の所領に銀山があり、
金銭収入が多いぐらいの知識しかありません。
そして島根の朝は寒い。
朝起きてみれば、なんと雪。昨晩にドカドカと降ったらしい。島根市内は降雪で道路脇には雪が積まれていたのです。そして石見銀山というぐらいだから
当然山の中にあるだろう。果たしてこのレンタカーで銀山まで行けるのだろうかと話題になったのです。
レンタカー屋に電話してみると降雪は予想していなかったらしく当然ノーマルタイヤ。
これはいよいよ暗雲が立ち込めてきました。最悪、出雲市駅に車を止めて電車とバスで行くのかと不安になりましたが、途中寄った道の駅でDr.ミズノが石見銀山に電話して確認してくれました。
どうやら銀山近辺はあまり雪が降らなかったらしい。ラッキー。
キララ多伎で石見銀山までの道をチェック。目的地はまだまだです。
そして島根はなんと温泉だらけなことよ。
この荒々しい日本海の海も夏は「キララ・ビーチ」として海水浴場になるようです。
今はただ寒いだけ。
国道から道を外れるとあっという間に山の中。
石見銀山世界遺産センター。
ところが……。
人いねェーーーーーーーーーーーーーー。(*)
何と言っても世界遺産ですよ!アメリカのゴールドラッシュとまではいかないが、ピッケル片手にもった観光客が大量に押し寄せて
一攫千金を狙ってごった返している光景を想像していたのですが、ちょっと拍子抜け。
個人的には空いているのは有難いのだけれど。
(*)ガイドさんに聞いてみたら今の時期はシーズンオフだから。シーズンになると滅茶苦茶混むらしい。
銀山行くなら2月がおすすめ!寒いけど…。
世界遺産 石見銀山ガイドツアー
石見銀山世界遺産センターは石見銀山の主要ポイントから離れた場所にあり、石見銀山公園を中心とした一帯がメイン。
ただ石見銀山公園は駐車場が狭く、車が止められないこともあると聞いたがさすが2月。こっちもガラガラ。
車から降りてみれば静寂が漂っていました。
我々はちょうど石見銀山ガイドの会の方が500円でツアーをやってくれるというので申し込むことに(石見銀山観光ワンコインツアー:PDF)しました。
結論として500円払ってガイドをお願いして大正解でした。
もしガイドなしで我々だけで散策していたら、ざーっと見て回って龍源寺間歩(坑道のこと)は行くだろうけど「なんだこれ?これが世界遺産かよwwwツマンネ」で終わっていたと思います。
ガイドの解説を聞くことで、深く知ることができるし石見銀山がなぜ世界遺産になったかが実感できたのです。
以下はガイドの解説(うろ覚えですが…)を元に記述。
石見銀山といえば銀を掘りまくった坑道(間歩(まぶ)と呼ばれる)の中でも公開されている龍源寺間歩が一番の見どころではあるのですが、
その坑道(銀山)だけが世界遺産に登録されたわけではありません。
銀山を中心としたかなりの広域エリア(果ては日本海にある銀を運び出す港まで)が世界遺産に登録されました。
ちなみに世界遺産への登録理由は「石見銀山遺跡とその文化的景観」
日本政府の推薦理由は「東西文明交流に影響を与え、自然と調和した文化的景観を形作っている、世界に類を見ない鉱山である」とあります。
人間が開発しまくっているのに"自然と調和した文化的景観"というのがポイントです。
当然石見銀山防衛のため築城され、多くの戦国大名たちが銀山を手に入れたいとこの城を巡って争ったのでした。
石見銀山ツアーはこのような散策路を歩いていきます。
ちなみにシーズンオフなのでツアー参加者は我々を入れて6~7名。聞きたいことが聞けるので最高です。
奥に見えるのが江戸初期に幕府の元で銀山経営を取り仕切った石見守 大久保長安の墓。
権勢を振るっていましたが死後に不正蓄財をしていたという理由で息子は全員処刑され、長安自身も墓から引きずり出され首を晒されたといいます。
死者に鞭打つなど、どれほど恨まれていたのでしょうか。
灰吹法とは掘った銀鉱石を鉛と混ぜて加熱することにより鉛と銀が結びつく貴鉛と呼ばれる物質となります。
その貴鉛を空気を送り込みながら加熱して溶かし、鉛を灰へ染み込ませて灰の上に銀が残るように分離して純度を上げる方法のことを言います。
これによって銀の精度は飛躍的に向上したという。
けれど鉛中毒で鉱山夫の平均寿命は極端に短かったとか。
銀山には川が流れていました。その川をのぞくとたくさんの魚が泳いでいたのです。
普通、鉱山というと足尾銅山のように鉱毒を垂れ流して公害によって魚が死滅したりする光景を想像しますが、石見銀山の場合は歴史的に自然環境を
破壊することがなかったという。これが世界遺産に登録された最大の理由だという。
そして世界遺産の景観を守るために、この近辺の住宅は昔ながらの造りをしていなければならず、許可なくして改築もできないという徹底ぶり。
関が原の合戦で西軍は大敗したものの、総大将である毛利家は領地を減らされるだけで済みました。これは不思議なことではないでしょうか。
その秘密の一端がこの石見銀山にあるとガイドは言います。
この豊栄神社は毛利家ゆかりの神社。それが今でも残っています。
毛利家は銀山を支配していました。そして鉱山技師たちは毛利家の家臣でありました。毛利家を取り潰せば鉱山技師たちは散り散りになり銀の採掘は望めません。
そのため石見銀山と鉱山技師を徳川家に譲る代わりに毛利家の取り潰しを回避する交渉がなされたらしいのです。
本当かどうかわかりませんが、この石見銀山が歴史を動かす一端になっていれば実に面白い。
現実問題として毛利家は取り潰しを免れました。そして関が原から約260年後に、その毛利の長州に幕府が逆に滅ぼされてしまうことを思うと歴史のうねりを感じるのです。
ところで銀山と言っても銀鉱石が埋まっているだけで、見た目は普通の山。なぜ銀山と分かったのかという質問をガイドにしてみたところ…… 伝説によれば神屋寿禎という戦国時代の商人が船で島根沿岸を渡っているとき、山の向こう側が銀に光ったのを目撃。急いで上陸して光を目指して 歩いていくと、銀山があったという……っていうか、そんわけあるかーーー!
福神山間歩は川の下を通って、鉱脈がある山のほうへ向かうという珍しい間歩とのこと。 残念ながら入口しか見られません。
龍源寺間歩
世界遺産「石見銀山」といえばやはり龍源寺間歩は外せません。……というか、この洞窟が一番のメイン。
間歩(まぶ)とは銀鉱石を採掘するための坑道のことをいいます。機械もなかった当時、ノミなどの道具一つで岩を削って 人ひとりがやっと通れるほどの道がどこまでも続いています。その執念と技術力に驚かされます。
いったい一日あたりどれぐらい掘り進めることができたのでしょうか。
坑道を堀進んでいくと板のように固まっている銀鉱脈に当たります。銀鉱脈の板方向に向かって掘り進む小さな坑道を「ひおい抗」といいます。
他にも溜まる雨水を100m下に掘られている坑道に流し込む「堅抗」と呼ばれる垂直の坑道もあります。
ただがむしゃらに掘っているだけでなく、排水システムも構築されているのです。
龍源寺間歩を出るとガイドツアーもいよいよ終了です。
最後に石見銀山の町並み地区も歩いてみました。ここまで相当歩いてきたので足もヘロヘロです。
旅の終わり
出雲空港で飛行機に搭乗するまで時間があったので、空港内のラーメン屋で軽く夕食。
スサノオラーメンというらしいです。このカマボコみたいな剣が「スサノオ」なのか……。
しかも店員驚かないし。
いつもの感じみたいに「すみませーん」って。この店そんなに停電が頻発しているのか?
……………………………。
と、まぁこんなわけで「日本の良さを感じる旅」は終わりました。
最大の目的はカニを食べに行くことでしたが、出雲大社も石見銀山も充実していて、素晴らしい旅に巡り合えたことに感謝です。
そして何よりも勉強になったし、様々な方たちとの素晴らしい出会いもたくさんありました(ご縁はなかったけど)。
羽田空港に降り立つ直前には、また日常に戻ることへの嫌悪感から早くも禁断症状が。
「いーーやーーだーー。いーーやーーだーー。帰りたくないーー。この飛行機、島根に引き返さないかなぁ~」
次はいつ、また旅に出られるのでしょうか……。
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