7月2日に毎日新聞が「第二次世界大戦をめぐる日本政府の謝罪・反省」に関する全国世論調査を行った結果の記事を見た。あまりの酷い記事内容に怒りを覚えた。
どうせ時間が経つとWeb上から抹消されてしまうと思われるので、少し長くはなるが記事を引用する。
毎日世論調査:日本国民と国会議員、戦争など歴史認識に差
毎日新聞は「戦後60年の原点」シリーズの総括で、6月中旬の全国世論調査(電話)に、先の全国会議員アンケートと同じ歴史認識などに関する質問を盛り込み、国民と国会議員の意識を比較した。第二次大戦をめぐる日本政府の謝罪・反省については、「不十分」との回答が42%で「十分」の36%を上回り、議員アンケートの「十分」51%、「不十分」33%との違いがはっきり出た。戦後日本の「軽武装・経済重視」路線に対しても否定的な数字が高く、国民が国会議員に比べて「戦後の歩み」を厳しく見ていることが浮かんだ。
世論調査では、政府の謝罪・反省、軽武装・経済重視路線のほか、対米開戦、対中戦争、東京裁判への評価など計7項目について議員アンケートと同じ質問をした。
政府の謝罪・反省は(1)十分だった(2)不十分だった(3)謝罪・反省の必要はない--の三者択一で聞いた。「謝罪・反省の必要はない」は11%、無回答は11%だった。議員アンケートの「必要なし」は2%だった。
毎日新聞 2006年7月2日 19時46分 (最終更新時間 7月2日 23時49分)
記事内容やグラフを見る限り、戦後の謝罪・反省について少なくとも国民に対する調査結果では不十分と考えている人が十分だと考えている人より多い、ように思える。現に文章も
第二次大戦をめぐる日本政府の謝罪・反省については、「不十分」との回答が42%で「十分」の36%を上回り、議員アンケートの「十分」51%、「不十分」33%との違いがはっきり出た。(中略)国民が国会議員に比べて「戦後の歩み」を厳しく見ていることが浮かんだ。
というように国民は「戦後の歩み」を厳しく見ている人が多いですよ、と述べている(強調箇所は筆者)。言うまでもないがここで毎日新聞の言う「"戦後の歩み"を厳しく見ている」とは、第二次大戦後に日本が行ってきた謝罪・反省(=戦後の歩み)は足りない(=厳しく見ている)ことを指しているのは明らかだ。
しかしよく見れば、記事内容がおかしいことに気が付く。先の結果分析の文章中には「謝罪・反省の必要はない」項目が全く加味されていないのだ。
国民に対する調査結果で「十分だった」と「謝罪・反省の必要はない」を合わせれば47%となり「不十分だった」の結果を上回る。国会議員に対する調査結果も同様に「十分だった」と「謝罪・反省の必要はない」を合わせれば52%になり、国民アンケートの47%と比較しても決して「国民が国会議員に比べて"戦後の歩み"を厳しく見ている」とは言えない。むしろ初めから謝罪・反省の必要なしと考えている国民が11%もいることから、国会議員の方が戦後の歩みを厳しく見ているのではないか?という気さえしてくる。
そもそも判らないのがなぜ選択肢を「十分だった」と「謝罪・反省の必要はない」の2つに分ける必要があったのか。歴史的にみても日本政府は二桁回数にも上る謝罪・反省発言を行っている(日本の戦争謝罪発言一覧)ため、「必要ない」という選択肢は不要だったのではないか。それとも「最初から必要なかった」という意図なのか今一つ理解に苦しむ。穿った見方をすれば、初めに調査結果ありきで意図する調査結果となるように選択肢を増やしたのではないかとさえ思えてくる。
以上のことから毎日新聞が読者に対して「日本はまだまだ謝罪や反省をしなければならない」という意見に意図的に誘導しようとしていると感じるのは自分だけだろうか。
これだけインターネットが繁栄し調べようと思う気持ちさえあれば情報が簡単に手に入る(正しいか間違っているかの判断は必要)このご時世に今さら自虐史観を煽ってどうするのだろうと思う。というか世論調査の結果を巧妙にねじ曲げて自社に主張に持っていこうとする姿勢に怒りを覚える。ましてや四大新聞社の一角を担っている毎日新聞がである。
もちろん新聞社には持説があってしかるべきだが、マスメディアの使命は"真実を報道する"ことであるはず。持説を主張することは大変結構だが、その主張をするために真実をねじ曲げたり捏造するのであればマスメディアとして失格であると言わざるを得ない。
また毎日新聞に限らず現在のマスコミがこんな状態であるため、我々としては情報を鵜呑みにせず得た情報が正しいか間違っているか各自が判断を行う必要があるだろう。
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