第49回 岩殿城~兜岩・稚児落としルート

スポット情報

名称 岩殿城~兜岩・稚児落としルート
住所 山梨県大月市賑岡町浅利地区
休館日 なし
サイト 西コース・稚児落とし方面(PDF) | 大月市観光協会
初回訪問 2014.11.16

前回の岩殿城 登城から約2ヵ月後。やはり稚児落としがこの目で見てみたくて、 再びチャレンジしました。

2~3時間ぐらいで踏破できるコースなので私のような登山ド素人でも行けるのですが、そんな初心者向けの山でも途中で鎖に つかまらないと登れない箇所もありスリリングなコースでした。

稚児落としは……やはり写真で見るのと自分の目で見るのでは感動が違いました。
実際の史実はどうかわかりませんが、落城から道なき山道を追っ手の恐怖に怯えながら落ち延びていき、断崖絶壁に追い詰められて 子どもを突き落とさざるを得ない母の心境を推し量ると涙が出てきます。



岩殿城~兜岩・稚児落としルート

1582年(天正十)年3月中旬、岩殿城は北条勢によって攻撃されていた。 この月の3日武田勝頼は築城して11ヶ月の新府城に火をかけ大月市の岩殿城に向かって敗走していた。

岩殿城は城主小山田信茂とその一族郎党は織田方の命により甲府善光寺に出頭するという混乱と動揺を極めていた。
小山田氏の残された婦女子は、予想された落城の道を脱出することになり、堅手門から大手門・築坂峠・兜岩・呼ばわり谷の大岩壁と、 来たときに背にしていた子供が突然泣き出し、追っ手に察知される距離となった。

夫人は背より子供をおろしあやしたり乳房を含ませたりしたが泣きやまず、その上他の子供も泣き出し、敵の武士に発見されてしまった。
夫人は、思案に窮し、やむなく子供らをこの岩壁上から落とし大菩薩山塊の一つ「雁が腹摺り山」方面に逃れ去った。
この時最後の「末期の水」を子供らにのましたところを「水くれ堂」、子供を落とした150mに及ぶ急峻な岩壁を「稚児落とし」と呼ぶようになった。

(後略)

岩殿山ふれあいの館 パネル「落城の道」より