第53回 皇居東御苑・江戸城跡
江戸幕府の中心地が江戸城であって、それが現在の陛下のお住まいである皇居であることは知っていたのですが、 皇居=厳重警戒というイメージがあったので、入れない場所だと思っていました。
そんな中100名城スタンプの存在を知り、その中に江戸城が……どこでスタンプ押せるんだ!?と あちこち調べているうちに江戸城の天守や二の丸近辺が皇居東御苑として公開されていることを知りました。
皇居東御苑は公園だけあって、とてものんびりして都心の一等地にあるとは思えないほどゆったり時間が流れていました。
忠臣蔵の発端となった松の廊下や、大河ドラマ「篤姫」の舞台 大奥もあり(跡地ですが)江戸の歴史ロマンに浸れます。
でも偶然でしょうか妙に外国人観光客が多いのが目につきました。
やはり日本のことは日本人が一番良く知っていなければ。訪れて損はしない場所です。
皇居東御苑・江戸城跡
江戸城の本丸・二の丸・三の丸を整備し、人々が憩う場所として1968年に解放された、皇居東御苑。
天守台や大奥跡、百人番所、大手門など、江戸城の名残りを様々に残しているエリアです。
また、そういった数多くの史跡だけでなく、都心部でも広大な自然が豊富なことから、
散策や休憩場として、人々に愛されています。
(後略)
千代田区観光協会 webサイトより
今回の散策は竹橋からスタートです。東京都心はかなり緑豊かな地です。
平川橋方面を望みます。こんな堀があっては敵は攻めて来れまい。
皇居のすぐ近くにあるのが変態新聞社。左寄りのくせに皇居の近くに本社ビル建てるんじゃねぇ。
平川門です。重厚な門構えをしています。城内で罪人や死人が出るとここから外に出されたとのこと。
平川門からお堀を見ます。石垣の造形の美しさに目を奪われます。石を積み上げてよくこんな美しい線が出せるよな。
天守台の石垣をローアングル(笑)で。隙間なくビッシリ積み上げられています。すごい。
天守台から皇居東御苑の芝生広場を見ます。のんびりと時間が流れている感じです。
女の花園 大奥跡。男としては一度は憧れるかもしれないが、女の集団が面倒くさいのはご存知の通り。
天守台の石垣。天守閣は1657年明暦の大火(振り袖火事)で全焼。黒い石垣が火災の跡とすればどれだけ大火事だったのだろう。
このエキゾチックな建物は桃華楽堂。外見からわかるが江戸とは何の関係もない。
歩き疲れたので芝生(大奥跡)に寝転がって一休み。奥に見えるのは天守台。
かつて天守台の上には外観5層、内部6階からなる日本一の天守閣がありました。いったいどんな姿をしていたのだろう。
さすが御所のすぐ隣。警察が警戒しています。ポリースにタイーホ。
忠臣蔵のきっかけとなった松の廊下跡の石碑がひっそりとたたずんでいます。
ここが松の廊下があった場所。1701年3月14日赤穂藩主の浅野匠頭長矩が高家衆筆頭の吉良上野介義央に斬りかかる刃傷事件が起きました。
富士見櫓あたりから大手町方面を眺めます。奥に見える高層ビルが大手町のビルディング。
本丸エリアを後にして、二の丸・三の丸方面へ向かいます。本丸の周囲はやはり堀に囲まれています。
大番所。"番所"とは警備の詰め所のこと。大番所は位の高い与力・同心が詰めていました。
百人番所前の広場。この広場は警備の武士たちでごった返していたのだろうか。
本丸と二の丸を結ぶ要所"大手三の門跡"。奥(本丸側)が大番所。手前(二の丸側)が百人番所。警備だらけ。
百人番所の建物。"百人"と銘打っているだけあって100人 x 4組で警備をしていたらしい。
確か"同心番所"だったような…。小屋の規模から一番格下の警備っぽい。こんなところにも格差が…。
宮内庁三の丸尚蔵館。残念ながら撮影禁止だったので外観だけ。展示品はあまり印象に残っていない…(汗
お堀で白鳥がマターリ水浴び(?)していました。のどかですねぇ。