第64回 忍城~映画「のぼうの城」史跡巡り~・さきたま古墳群
スポット情報
名称 | 忍城址 さきたま史跡の博物館 |
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住所 | 忍城址:埼玉県行田市本丸17-23 さきたま史跡の博物館:埼玉県行田市埼玉4834 |
休館日 | 月曜日、年末年始 |
サイト |
行田市郷土博物館 さきたま史跡の博物館 |
初回訪問 | 2017.11.05 |
ふとしたきっかけに映画「のぼうの城」を鑑賞して以来、すっかりその魅力にはまってしまいました。
そして勢いで小説も購入して一気に読破。
エンディングロールで、映画に出てきた場所や建物が、現在も地名や史跡となって残されており、
これまで聖地巡礼なんてバカにしてきた自分が史跡を巡って戦国ロマンに浸ってみたいと思うようになりました。
そんな想いが募り募ったある日、早朝から電車で一気に埼玉へ。
駅前でレンタサイクルを借りて、丸一日駆けずり回ってきました。
そして行田市は「のぼうの城」の史跡巡礼はもちろんですが、大和王権の息吹を感じるられる古墳も見られます。
実は訪れて一番感動したのが古墳の方。国宝の稲荷山古墳出土鉄剣に刻まれた「ワカタケル」の文字。実物のパワーに痺れました。
歴史(日本史)が好きな方。ぜひ行田市へ。
忍城址とさきたま古墳群
鉄剣に刻まれた115文字は「(わたくし)ヲワケの先祖は、代々杖刀人首(親衛隊長)を務めてきた。
わたくしはワカタケル大王(雄略天皇)に使え、天下を治めるのを補佐した。
そこで辛亥の年(471)7月に、このすばらしい刀剣にこれまでの輝かしい功績を刻んで記念とする」と記されています。
この銘文は、我が国古代国家の成立を読み解く、貴重なてがかりとなります。
さきたま史跡の博物館 | 見学のしおりより
JR行田駅へ到着。今では直通電車で小田原本城まで1本で行けてしまう。
"歴史・文化に出会うまち"行田市。さりげなくゼリーフライが幅を利かせている。
駅前の観光案内所でレンタサイクル(無料)を借りました。正直レンタサイクルがないととても回り切れない。
「ものつくり大学」なら、せめて看板ぐらい「ものつくり」らしくして欲しい。
広大な敷地に古墳群と博物館がある。巨大な墓が密集しているのに驚く。
古墳キター!奥の山古墳。全長66mの前方後円墳。6世紀中頃から末にかけてのもの。
瓦塚古墳。全長73mの前方後円墳。上から見ないと"前方後円"だと分からず、ただの盛り土であろう。
公園内に埼玉発祥の地の碑を発見。サイタマ!サイタマ~も過去のネタ。
埼玉県の由来。「たぶんここが埼玉郡の中心地だと思うからここに碑を立てた」ってずいぶん適当だな。
公園内にレストハウスを発見。観光客の見込んで巨大な施設だったのか、あるいは今日はたまたまなのか閑散としていた。
お目当ての「埼玉県立さきたま史跡の博物館」午前中の客は少なめ。
国宝がジャンジャン展示してあるのに入館料200円とか。本来博物館とはこうあるべきではないか。
これが最大の目玉「国宝 金錯銘鉄剣」。接写禁止ではあるが、写真撮影は可という太っ腹ぶり。望遠で撮影したので微妙…。
金錯銘鉄剣の解説板。獲加多支鹵(ワカタケル)大王=約1500年前の雄略天皇は確かに実在した。字は悪筆だが…。
こんな国宝が間近で見られるなんて素晴らしい。ただしガラスケースの上からの撮影は禁止。(横から撮るとよくわからん)
古墳といえば定番の埴輪だが、なぜみんなこんな顔しているのだろうか。当時「全然似てねぇぞ!」と言ってくれる人はいなかったのか。
古墳に埋葬されている姿の図。エジプトの古代ロマンがピラミッドなら日本は古墳だろう。
古墳といえば大阪のイメージだが、関東にもこんなに古墳があったことに驚いた。
行田市のもう一つの見どころは忍城の水攻めの堤防「石田堤」の跡。現在では赤い部分しか残っていない。
再び公園内の散策へ。稲荷山古墳に上ったところ。ワカタケルの鉄剣はこの古墳の内部で見つかった。
稲荷山古墳の後円部分には礫郭埋葬図の展示がある。この場所の地下にこのような形で埋葬されていた。
埋葬された人物の身長はざっと見積もって130cmぐらいだったか。埋葬者は鉄剣の持ち主であればヲワケだがそうでもないらしい
将軍山古墳の内部は展示館になっている。古墳の盛土は崩れないように層になっている。
将軍山古墳から馬具の副葬品も多数発見された。この図は4,5世紀の馬に装備されていた馬具を解説したもの。
で、パネルの馬は実際に再現したもの。馬がとても貧相な表情をしているのは気のせいか……。ふにゃふにゃの旗竿がジワジワくる。
再現したブロンズ像。当時の馬はこんなに脚長くないだろーー。サラブレッドじゃあるまいし。
将軍山古墳展示館の2F(といっても地下だが)には横穴式石室が再現されている。なんとも言えない神々しさにしばらく見とれてしまった。
発掘されたときの副葬品の配置図か。初葬時の副葬品は横に片づけられていて、何度か追葬を行ったらしい。お椀などが足元に整然と並べられていた。
石室を復元した図。壁の石は千葉県のものが使われていたらしい。6世紀の時点で交易の広さがうかがえる。
馬具やら剣やら一緒に埋葬したということは、古代エジプトのように死者の復活を願ったものなのだろうか…。
いよいよ映画「のぼうの城」の史跡巡り。まずは丸墓山古墳から。直径105m、高さ18.9m。忍城攻めの際に石田三成がこの上に本陣を構えた場所。
もっとも戦国時代にこのような階段はなかったが、上まであがることができる。
丸墓山古墳につながるこの道が石田堤の上らしい。とても堤防には見えない。
丸墓山古墳の上は案外狭い。本陣といっても帳を張ればそれでいっぱいいっぱいの広さ。
丸墓山古墳から稲荷山古墳の望む。確かに前方後円墳している。三成もこの風景を見たはずだ。
忍城の方向を望む。この先に忍城の模擬御三階櫓が見えるはずだが…見えるだろうか。
40倍ズームで見ると模擬御三階櫓がはっきりわかる。もっとも三階櫓は江戸時代の建物なので、忍城攻めの時にはない。
当時と風景は全然違うだろうが、石田三成もこの場所に立ち、こんな風景を見たかと思うと感慨深い。画像への直リンク
二子山古墳。さきたま古墳公園を十二分に満喫し、次の目的地「石田堤」へ向かう。
石田堤公園は狭くてショボイ公園だと思ったら「石田堤歴史の広場」だった。ちなみに奥に見えるのが石田堤。ずいぶん低い。
歴史の広場からもう少し自転車を走らせると「石田堤史跡公園」がある。こちらは整備されている。
説によれば、総延長14kmとも言われる堤を5日間という超突貫工事で建設。その後、水を引き入れながら補強していったという。
目の前の高架は東北新幹線。新幹線建設のために堤をぶった切ったようだ。
高架の下に展示してあったパネルその1。丸墓山古墳山頂で忍城水攻めを眺める石田三成の図。
展示パネルその2。水浸しになる忍城の図。水攻め後にも小競り合いがあったことから実際には湿地程度だったようだ。
展示パネルその3。堤防決壊したでござるの図。こんなになるのか?津波じゃあるまいし。
最後の目的地「忍城址」。これは模擬御三階櫓。郷土博物館の展示は江戸時代から近世のものばかりだったので写真はありません。足袋撮ってもねぇ…。
模擬御三階櫓の三階部分から辛うじて撮影できた丸墓山古墳。格子が狭すぎて全然わからなかった。もしかしたら石田三成っぽい人影ぐらいは見えたのかもしれない。
殿様が政務を司った二の丸は現在では中学校に。中学生には誇りを持って生活して欲しい。
忍城の模擬御三階櫓を下から撮影。だんだんと日が陰ってきた。1日中走り回った旅もいよいよ終点。