大丈夫だと思っていた。
大丈夫だと自分に言い聞かせてきた。
しかし心のどこかに不安な気持ちは確かにあった。
この不安な気持ちは、ちょっとした遊びのつもりだった女にこれまたちょっとした過ちか
ら深い仲になっちまって、最終審判を待っている心境と同じではないだろうか。
そのちょっとした遊びのつもりだった女から
「最近来ないの......」
などと、それとなく例のことを示唆する言葉を告げられたあの日から。
私は毎日身悶えするような不安にさいなまれる日々を過ごした。
不安な日々の中でふと気がゆるんだ瞬間に脳裏をよぎる記憶は、自分の行為に対する後悔
の念。
なぜあの日、あの時。
自業自得なのか、それとも運が悪かったのか。
全ての行動に身が入らない。
正直不安で何もする気が起こらない。
自分がケツの穴の小さい人間であることを再認識させられた。
そんなに不安な気持ちで日々を過ごしたものの、ところがそれからしばらく女から連絡を
寄こさないので、不安の中にほんの少しの光明を見出していた。
明後日は本命である彼女のご両親に挨拶に行くことになっていたその日。
ちょっとした遊びのつもりだった女から突然連絡が。
「......できちゃったの」
(で)来ちゃったの。
△同封の"お願い"
そして、
△人生オワタ\(^o^)/
警察からの呼出状。
「・・・・・・・・・・・・。」
ぎゃぁああああぁっぁああああぁぁああぁぁぁあああぁ........。
うえっwwwwwうえwwwwwww。
一瞬で目の前が真っ暗になった。
一気に奈落の底に落とされたようなこの気持ち。
・・・私は交通三悪の一つであるスピード違反を犯しました。
ことの発端は友人と香川県に旅行に行ったときのことだった。
最終の新幹線に間に合わない(私だけ終電が早かった)と思った私は高速道路でレンタカ
ーのアクセルを踏み込んだ。
刹那。
隣り車線(と、私は思っている)のゲートに備え付けられているランプが赤く光った。
目の前が真っ赤になるような光ではなかったけれども、チカッと一瞬確かに赤い光が瞬い
た。
それがスピード違反を示すのか、違うシステムなのか判らなかった。
旅行から帰ってからインターネットで色々調べまくった。
しかし書いてある情報は千差万別。
セーフなのかそれともアウトなのか・・・不安な日々を過ごした。
旅行から1週間経ったものの何の音沙汰もないため、赤い光は違うシステムのものか、
あるいは見間違えたのだろうと、不安な気持ちが杞憂であったことに胸をなで下ろし始
めていた。
そして明後日に私立学校の試験を控えた今日。
警察からの出頭要請のハガキを受け取った。
私の場合はレンタカーだったので、警察からまずレンタカー会社に通知。
レンタカー会社は記録からその日に車を借りていたのは私であることを調べ、私にハガキ
が転送されてきたというわけです。
ネットで調べた限り「警察からの出頭要請なんてシカトして無問題」といった類の情報も
あったものの、ケツの穴が小さい私には出頭要請を無視する勇気は到底持ち合わせていな
かった。
やむを得ず出頭要請に応じることに決めた。
しかしハガキに書かれている出頭場所を見てみると、
△出頭場所
兵庫県警(※1)……新神戸ですか。普通に遠いのですが。
(※1)スピード違反の出頭場所は違反を検知した管轄の警察署です。私は鳴門自動車道で
の違反(兵庫県警の管轄)なので神戸に行くハメになるわけです。
しかも事もあろうに。出頭日は、
平成17年8月25日。
レンタカー会社から封書が来たときには、出頭日はとうに過ぎ去っていた。
不本意ながら私は出頭要請を既に無視してたのだ。
レンタカー会社の野郎!仕事が遅すぎるんだよ凸(-_-メ)
しかし本当に凹んだ。
正直、飯も満足に喉を通らなかった(※2)
(※2)落ち込んだ最大の理由は、犯罪者になることで教員採用試験の受験資格がなくなる
のではないかと思ったからだ。
実際は「禁固以上の刑に処せられ、その執行を終わるまで又はその執行を受けることがな
くなるまでの者。」(学校教育法第9条)なので問題はなかったのですが。
母親が家に帰ってきた。
私は母親にありのままを伝えた。
スピード違反をしたこと。恐らく免停になること。多額の罰金を支払うこと。
母親は一瞬困った表情を浮かべたが、特に何も言わなかった。
私にはむしろそれが有り難かった。
そう、思い起こせば全ての苦しみはこの日から始まったのだった。